ぺねとれ2世と仲間たち

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チャイコフスキー交響曲第4番

今回はチャイコフスキーの4番目の交響曲に目を向け、彼の絶望を考えてみたい。

 
ところで、私がチャイコフスキー交響曲に副題をつけるとしたら、
4番「絶望と怒り」
5番「欺瞞と幻想」
6番「罪の告白と死」
という感じだろうか。
 
チャイコフスキーの後期交響曲は一貫して彼の絶望がその根底を支配している。では、なぜ彼は絶望していたか。それを理解しようとするのに、彼が同性愛者だったという事実を見過ごすことはできない。
 
4番の交響曲を聴いていると、彼のこんな言葉が聞こえてくる。
 
「なぜ⁉︎どうして⁉︎どうして誰もわかってくれない⁉︎どうして私は他の人とこんなに違う⁉︎なぜ…。」
 
なぜ、どうして、チャイコフスキー交響曲第4番は、この、なぜ、どうして、の繰り返しなのだ。
 
それは絶望の始まりであり、その絶望の対象に対する大きな怒りである。まだこの頃は絶望の対象に対して怒りの感情を抱くことができた。しかし、5番、6番の交響曲では、絶望の対象に対して怒りすら生まれなくなってしまう。
 
彼は、自分が同性愛者であることに、強く囚われていた。誰にも理解してもらえないという苦しみを彼は生涯背負い続けた。そして、彼は罪悪感を抱いていた。自分は神に背いてしまう人間なのだと。
 
彼は孤独だったに違いない。孤独でありながら、自分自身すら許せなかったのだ。なぜ…⁉︎どうして…⁉︎。彼の音楽はここから生まれたのだろう。